年少前の年、9月に自閉症スペクトラムと診断され、10月に母子分離のプレ幼稚園に行けなくなった息子。
翌年3月で3歳となり、4月から3歳児で幼稚園に入園しました。
結論から言うとバスに乗れず退園しました。
入園までの葛藤
プレに行けなくなってから入園までの半年、不安しかありませんでした。
私に執着し離れられない息子、体験入園等で多動を遺憾なく発揮する息子。
何度も入園を辞退しようと思いました。
周りにも相談し、行かせるだけ行かせてみようと入園しました。
それまでにできることと思い、特性等を書いた息子の取説も園に渡しました。
園長から促された自閉症スペクトラムの診断書とともに。
入園後バスで暴れる
入園式はもちろん多動で集合写真は私の膝の上で立つ。。
けれどまぁまぁ思っていたよりは上手く行きました。
翌日からバス登園。
ここを乗り切れば何とかいけるのではないかと思っていました。
先生もいつもは1人だけど2人体制で。ありがたい。
そして本人もよくわからないまま乗車し、帰りも普通にバスに乗って帰ってきました。
よかった。
迎えに行かないといけないこともあるだろうけど、とりあえずはよかった。
けど明日、2日目がキモだなと思っていました。
プレの時も2回目から拒否し出したので。
2日目、バス乗らず、先生も諦め早く私が自力で送ることに。
復路もバスに乗らないと騒いでお迎え要請。
3日目、また同じペアの先生で、この日は無理やりバスに乗車させる。
大泣きしていたので吐いたりしないか心配ながらも園からのお迎え要請はなし。
よかった何とかなった。
復路のバスでは普通の顔をして座っていました!
あーよかったと思ったら同乗の先生より「バス登園は無理です」と。
やはり泣いて吐いたようだったけど、たった1回しかも往路だけで決められてたまるか、という思いで曖昧に返事しました。
担任の先生は理解のある先生で電話があり、その日の息子の様子など教えてくれました。
吐いたこともちゃんと汚れが取れていなくてすいませんと。とんでもない。
行きのバスで騒いでご迷惑をかけましたが、帰りはちゃんと座って帰れたのであと何回かすればきっと慣れると思うので、と熱く話しました。
担任の先生は受け止めてくれたので、少しホッとして電話を切りました。
すると夕方幼稚園から電話。
もう悪い予感しかしない。
園長より園での会議の結果、バスには乗せられませんと。
帰りは普通に乗れたんですあと1日見てくださいと食い下がって、何とか次の日はバスに乗せるけど来週からはご自身で送ってくださいと。
乗車していた先生(二人ともお姉ちゃんの時の担任なのでいろいろ知ってる。。)が違うければという失礼も承知なことも話し、何より園長が乗っていた初日は大丈夫だったことで機嫌を取ろううとしたけどそれもダメ。。
園長:だって初日じゃない(クス)
電話中もその後も涙が止まりませんでした。
夫やママ友にもLINEしながら。
私が送るとなると…私が運転をしておらず、電車で登園しなければばらない。
しかも毎日となると2往復の労力はもちろんのこと、小学生のお姉ちゃんの帰宅時間的にも微妙。
たまに呼び出しとかなら、夫の母に連絡することもできるけど毎日は現実的ではない。
その「無理」もあるけど。
たった一回暴れただけでアウトなんだということが一番辛かった。
4月いっぱい同じことが続くならわかる。
園側も頑張ってくれて無理なら私も大変だけど毎日送ると思う。
園からの歩み寄りの姿勢を感じられなかった。
何のための診断書なの?
何のために提出してるの?
助成金だけのため?
しょっぱなから配慮してもらえないの?
一緒に協力してみていってくれないの?
あ、この先もきっとこうやってできないことを簡単に諦める園なんだ。
そしてゴリ押したところで息子は人質にとられているわけだし、息子に被害があっては困る。
帰ってきた夫と話すときにはもう心決まっていました。
幼稚園辞めよう。
夫も同じ気持ちでした。
翌日担任の先生にお話しし、週明けに園長に正式に辞める旨を伝えました。
幼稚園を退園した理由
ここまで決めるのが早かった理由として、お姉ちゃんが通っていたので園の感じや先生の雰囲気もわかるのでこの先の幼稚園生活が想像しやすかったことがあります。
では何故近くの園ではなくこの園にしたかというと、もちろんお姉ちゃんが通っていたのでその弟として顔なじみであることと、親としても慣れた園だったから。
そして願書提出してからプレを嫌がり始めた、その願書提出も診断が降りて1ヶ月以内だったので、ほかの園を検討する余地があまりなかったことが挙げられます。
お姉ちゃんの時にお世話になった先生、いい先生もたくさんいました。
担任の先生はお力になれず、と言ってくれました。
けれど園長やバス担当だったお局先生とおばあちゃん先生、そのへんが上層部なので仕方ないですね。
息子には縁がない幼稚園でした。
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